「あのね、私も考えてみたのよ。怪談」
店に入るなり、ずっとそれが言いたかったらしいいろはは開口一番菊叉にこう言った。
「何だいいろはちゃん。それは是非お聞きしたいもんだねえ」
いろはの後から、少しくたびれた様子の齋藤が入ってくる。大方妹に散々振り回された後なのだろう。菊叉は思わず苦笑した。
「あのね、このお店金魚がいっぱい泳いでいるでしょう。金魚屋さんみたいに」
「そうさねえ」
いろはは赤い唇を三日月のように釣り上げる。こうしてみるとこの兄弟、中々顔が似ていると菊叉は思った。
「実はね、この金魚たちは元は人間だったのよ」
「へえ、そりゃあどういうわけで」
「お店のショウウィンドウに並んでいる、一等高そうなお薬あるでしょう」
「ああ、星鐘薬」
「そう。そのショウショウヤクを作る材料は、なんと金魚なのよ。それで、沢山の金魚が必要で、菊叉さんは夜な夜な人間を金魚に変えているのよ……」
その証拠に、といろははおどろおどろしい声音を作って言う。
「あのお薬のラベルには金魚の絵が描いてあるもの」
菊叉は笑ってしまうのを我慢した。
そもそも星鐘薬は一番高い薬ではない。(でも高いことは高い)そして金魚の為の薬である。ラベルが金魚なのはそのためだ。
「知られちまったら仕方ねえな」
菊叉は怖い顔を作って見せる。
いろははその声色に、少し怯んだ顔をした。
「この薬の製造法は誰にも知られちゃあいけねえ決まりだ。知られちまったらその相手には金魚になって貰わねえとな」
中々迫真の演技である。まさか本当とは思わないが、菊叉の演技があまりに真に迫っていたため、いろはは思わず一歩あとずさる。
「安心しとくれ。いろはちゃんなら金魚になっても特別な鉢にいれて、毎日一番美味しい餌をあげるからさ」
「や、やだ菊叉さん……」
怯えの入った顔で思わず縋るように齋藤の姿を探すが、さっきまでカエルの人形を突いていたはずの齋藤は、いつの間にか忽然と姿を消している。
「無駄だよ、いろはちゃん。齋藤さんならほら、この通り」
菊叉は手元の金魚鉢をいろはに見せるように持ち上げた。
なかなか立派な黒い出目金が口をパクパクさせて泳いでいる。
「いやぁーーー!!!!」
いろはは一目散に店を駆け抜け外に出て行った。その声に、齋藤が不思議そうな様子で顔を出す。
「齋藤さん、どんぴしゃのタイミングで姿を消しててくれたもんだな」
「何でいろはは逃げて行ったんです?」
齋藤はやや疑うような眼差しを菊叉に向けたが、菊叉はにししと笑うばかりだ。
「棚の下に落ちてましたよ」
齋藤は薬のオマケにつける小さいカエルのマスコットを菊叉に差し出した。どうやらそれを取るために屈んでいたらしい。
「ああ、丁度いいからその人形いろはちゃんにあげとくれよ。嫌われちゃ困るからな」
「ええ、わたくしが欲しいくらいです」
「あんたは本当に大人気ないお人だよ」
齋藤が持ってきたお土産物を菊叉に渡して店の外へ出ると、そこにはむくれた顔のいろはがしゃがみ込んでいた。
「何よ、二人して私をからかって」
「お詫びに蛙のお人形を菊叉さんがくださったよ」
「いらない。私、子供じゃないもの」
「そう?ではこれはわたくしがいただこう」
齋藤があんまり嬉しげにそう言うので、忌々しげにいろはは齋藤の手からカエルをもぎ取った。
「やっぱ貰っとく」
「いらなくなったらわたくしにくださいね」
むすっとした顔でヒョウキンなカエルの顔を見ながら、いろはは不意に首を傾げた。
「でも何で、薬局のマスコットがカエルなのよ。そこは普通、金魚じゃないの。あんなにいるんだもの」
「それは確かにそうだね」
「もしかして、菊叉さん本当は蛙なんじゃないの」
「え」
「そうよ。金魚は可愛がってるのじゃなくて、もしかしてご飯なんじゃないの」
金魚を食べるのは猫じゃないかと齋藤は思ったが、そこは突拍子もない妹の考えが面白くて黙っている。
「見てなさい。今日の仕返しに、今度こそ正体を暴いてやるわ」
いろはがそう意気込んだ時、一方の菊叉薬局堂では店主がくしゃみをしていたとか、していなかったとか。